「では、改めて資料を作成させていただきます」
垣内さんを見送りながら、頭の中はすでに企画書のイメージで満ちていた。町工場ならではの技術力。職人の探求心から生まれた独自の加工方法。それを最大限活かせる広告展開。
「浅見さん」
デスクに戻ると、江口さんが資料を抱えて立っていた。朝から動き続けていて、プロジェクトの打ち合わせをするのも忘れていた。
「ごめんなさい。新規案件が入ってしまって」
「いえ、様子は見ていました」
江口さんが嬉しそうな表情を浮かべる。
「浅見さん、昨日の朝礼の時から、全然違います」
「え?」
「なんていうか、本当にいきいきとしていて。特に、さっきの商談の時は」
その言葉に、私も気づく。確かに、今日の自分は違う。数字の分析も、クライアントとの会話も、全てが自然に、そして力強く流れ出ていた。
「江口さんのおかげよ」
思わず口にした言葉に、江口さんが首を傾げる。
「これまでの私は、ずっとデータとにらめっこしてただけ。でも、江口さんが本気でぶつかってきてくれたから。昨日の朝礼で、私も本気になれた」
江口さんの目が、少し潤んでいるように見えた。
「私も、浅見さんと一緒に頑張れて良かったです」
その言葉に、私も胸が熱くなる。昨日までの「かわいい後輩キャラ」だった私には、こんな風に本音で話せる相手がいなかった。
「でも、これからが大変ですよ」
江口さんが資料を広げる。プロジェクトチームとしての最初の課題。そこに、垣内さんの案件も重なる。
「二つ、大きな仕事が来ましたね」
「はい。でも」
江口さんが私の目をまっすぐ見つめる。
「浅見さんとなら、できる気がします」
その言葉に、小さく頷く。もう、演技をする必要のない自分がいる。データの向こうにあるクライアントの想いに、真摯に向き合える自分がいる。
「よし」
パソコンの画面を開く。江口さんも隣に座る。
「まずは、この数字から見ていきましょう」
画面に映る数値の群れが、今までとは違って見える。そこには、新しい可能性が、確かな手応えが、広がっていた。
「ここの数字、面白いですよね」
江口さんが画面を指さす。クライアント別の反応率の違いだ。大手企業とは異なる、中小企業ならではの傾向が、くっきりと浮かび上がっている。
「垣内さんの案件にも、きっと活かせる」
私の言葉に、江口さんが頷く。
「技術力はあるのに、それを伝えきれていない。まさに、浅見さんが昨日言っていたような」
「うん。予算は限られているけど、商品の価値は確実にある。だからこそ、数字の読み方を変えていく必要があるの」
自然と熱が込もる声。昨日まで、誰にも見せられなかった私の本音。でも今は、それを誰かと共有できる喜びがある。
「浅見さん、企画書の構成、一緒に考えていただけますか?」
江口さんがノートを開く。私も椅子を寄せる。企画の方向性、数値目標、必要な施策。次々とアイデアが浮かんでくる。
「これ、部長にも見せないといけないですね」
「そうね。でも」
私は少し笑みを浮かべる。
「もう、怖くないの」
「怖くない?」
江口さんが不思議そうな顔をする。
「だって、本当のことを話せばいいんでしょ? 数字が示していること、私たちが見つけた可能性を」
その言葉に、江口さんの目が輝く。
「分かります。私も、今までずっともやもやしてて。数字は間違ってないのに、それをうまく説明できなくて」
「きっと、それは私たちが遠慮しすぎていたから」
言いながら、昨日までの自分を思い返す。「かわいい後輩キャラ」を演じることで、本当は伝えられたはずのものまで、隠してきてしまった。
「あっ」
江口さんが画面に目を凝らす。
「この数字、垣内さんの業界とすごく似てます」
グラフを重ね合わせてみる。確かに、パターンが酷似している。職人の技術を持つ中小企業。限られた予算の中で、価値を伝えようとする姿勢。
「これ、絶対に活かせる」
二人で顔を見合わせる。新しい可能性が、目の前で輝きはじめていた。
「浅見さん、江口さん」
作業に没頭していると、部長の声が聞こえた。
「プロジェクトの進捗の件なんですが」
私たちは顔を見合わせる。まだ始まったばかりのはずが、もう新しい展開が見えていた。
「実は、面白い発見がありまして」
江口さんがパソコンの画面を部長の方に向ける。中小企業の反応パターン。垣内さんの業界との類似性。そして、そこから見えてきた新しいアプローチ。
「ほう」
部長が腕を組んで画面を見つめる。
「これは、新規案件にも応用できそうですね」
「はい」
今度は私が声を上げる。以前なら、部長の前でこんな風に自分の意見を言うことはなかった。でも。
「実は、さっき垣内さんという新規クライアントと打ち合わせをさせていただいて。その時に、このパターンがより確信に変わったんです」
言葉が、スムーズに流れ出る。データが示す意味。クライアントが抱える課題。そして、私たちにできること。
「面白い」
部長の表情が、いつもと違う。
「浅見さん、君の中で何か変わったね」
その言葉に、胸が小さく震える。
「江口さんのおかげです」
自然と出てきた言葉に、江口さんが驚いたように顔を上げる。
「いいえ、浅見さんが本当の力を」
「二人とも」
部長が、珍しく柔らかな表情を浮かべる。
「互いの良さを引き出し合えているんだな。だからこそ、こんな発見ができた」
窓の外から差し込む光が、二人の間を優しく照らす。確かに、これは私一人の変化じゃない。江口さんという鏡があったから、本当の自分と向き合えた。そして今、新しい可能性が見えている。
「垣内さんの案件も、このプロジェクトも」
部長が言葉を続ける。
「君たち二人に任せよう」
その言葉の重みが、私の中で新しい決意に変わっていく。
「ありがとうございます」
二人で頭を下げる。改めて画面に向かいながら、私の中で何かが静かに芽生え始めていた。