確かな手応え
「それと、もう一つ」
私は、昼休憩に見つけたウェブページを開く。
「中小企業のマーケティングに特化したオンラインコミュニティがあるみたいなの」
「え?」
江口さんが、画面を覗き込む。
「『実践マーケティングスクエア』…ですか?」
「うん。メイン会員は月額制みたいだけど、すごく面白そう。従来の常識にとらわれない発想とか、実践的な経験が共有されてて」
スクロールしていくと、まるで私たちの課題に応えるかのような投稿のサンプルが並んでいる。中小企業ならではの強みの活かし方、限られた予算での効果的な手法、経営者の想いを形にする方法。
「あ、無料の入門コミュニティもあるんですね」
江口さんが、ページ下部の案内を指さす。
「参加してみます?」
その言葉に、少し迷いがよぎる。でも、この数日で学んだはず。迷っているだけでは、何も始まらない。
「登録してみようかな」
画面をスクロールすると、入門コミュニティでも充実した内容が見える。「中小企業のための価値の見せ方」「予算を活かす新しい手法」「経営者の想いを届けるマーケティング」。どれも、私たちが今、直面している課題そのものだった。
「あ、これ」
江口さんが、ある投稿を指さす。
「『従来の代理店手法に限界を感じている方々のための分科会』…」
私たちは、思わず顔を見合わせる。この数日で感じていた可能性が、ここでも共有されているのかもしれない。
「登録しましょう!」
私がフォームに入力を始めると、江口さんも隣で自分のスマートフォンを取り出していた。
送信ボタンを押した直後、ウェルカムメッセージが届く。
『実践マーケティングスクエアへようこそ。
本日20時より、新メンバー向けのオンライン交流会を開催します。』
「今日…ですか」
江口さんが、少し不安そうな声を漏らす。確かに突然だけど。
「参加してみない?」
私の声に、自分でも驚く。いつもの私なら、こんな見知らぬコミュニティの交流会なんて、絶対に避けていたはず。でも、今の私には、新しい可能性が見たくて仕方がない。
「そうですね。でも」
江口さんが、垣内さんのプレゼン資料が開かれた画面を指さす。
「まずは、これの準備を。その後で、二人で参加してみませんか?」
私は小さく頷く。目の前のプロジェクトをしっかりと進めること。それが、私たちの可能性を広げる第一歩になるはず。
残業する人も少なくなった頃、私たちは小会議室に移動していた。
「じゃあ、アクセスしてみましょうか」
画面には、実践マーケティングスクエアのオンライン交流会への招待リンクが表示されている。カメラをオンにするかどうか、少し迷ったが、思い切ってオンにした。
リンクをクリックすると、画面いっぱいに見知らぬ顔が並んだ。20人ほどだろうか。若い起業家から、実務経験豊富そうな方まで、実に様々な参加者が映っている。
「皆様、本日は実践マーケティングスクエアの交流会にお集まりいただき、ありがとうございます」
司会者らしき女性が、温かみのある声で語りかけてくる。30代後半といったところだろうか。落ち着いた雰囲気の中にも、どこか鋭い視点を感じさせる。
「今日は3名の新メンバーの方にもご参加いただいています」
その言葉に、私と江口さんは思わず顔を見合わせる。もう一人は、物流関係の会社を経営しているという男性のようだ。
「では、新メンバーの皆様から、簡単な自己紹介を」
突然の指名に、少し緊張が走る。でも、不思議と恥ずかしさは感じない。むしろ、この場で話せることが、どこか嬉しくもある。
「マーケティングコンサルタントの浅見と申します」
自分の声が、意外なほど落ち着いている。
「中小企業のマーケティングについて、従来の手法とは違うアプローチを模索していて。今日は皆様の実践的なお話を伺えたらと思います」
画面の向こうで、何人かが興味深そうに頷いている。
「同じく、江口と申します」
私の横で、江口さんも自己紹介を始める。
「中小企業ならではの強みを活かしたマーケティングの可能性を追求していきたいと考えています」
「とても興味深いお二人ですね」
司会の女性が、やわらかな笑顔を向けてくる。
「実は今日は、中小企業のブランディングについて、皆さんと意見交換をしたいと思っていたところなんです」
「まずは、こちらの記事をご覧ください」
画面に共有された記事は、大手企業のブランディング戦略に関するものだった。
「大手のやり方を真似ることが、必ずしもベストな選択ではない。むしろ、自社の強みを見出し、独自の魅力を伝えることが重要…」
司会者が、記事の一部を読み上げる。その言葉に、私の中で何かが共鳴する。
「この点について、皆様はどうお考えでしょうか」
しばらくの沈黙の後、ある女性が発言を始めた。地方で工房を営んでいるという。
「うちは、大手にはできない丁寧な職人技が強みなんです。でも、それをうまく伝えられなくて」
その悩みは、まるで垣内さんの会社のよう。思わず、背筋が伸びる。
「実は、私たちも…」
気づけば、マイクのミュートを解除していた。
「実は、私たちも今、まさにそういった企業様とプロジェクトを進めていて」
自然と言葉が溢れ出る。これまでの分析で見えてきた中小企業ならではのパターン。数字で見える可能性。
「大手企業とは異なる、独自の価値を見出すことが重要だと考えています」
画面の向こうで、参加者たちが真剣な表情で聞き入っている。
「具体的に、どんなアプローチを?」
40代くらいの男性が質問を投げかけてくる。IT企業の経営者だという。
「はい。例えば」
江口さんが画面を共有する。もちろん、個別の案件は出せないが、私たちが発見した一般的なパターンなら。
「中小企業の場合、このように予算配分を工夫することで」
データに基づいた私たちの理論を説明していく。それは、この場にいる経営者たちの実体験とも、確かに呼応しているようだった。
「そうそう、まさにそういうことなんです!」
IT企業の経営者が、食い入るように画面を見つめている。
「実は、全く同じ悩みを抱えていて。大手向けの手法じゃ、どうしても効果が出なくて」
次々と意見が飛び交い始める。工房の女性も、物流会社の男性も、みな同じような課題を抱えているという。
「浅見さん、江口さん」
司会者が、にっこりと微笑む。
「お二人の視点は、とても新鮮ですね。これまで誰も気づかなかった部分を、データで裏付けていらっしゃる」
その言葉に、胸が高鳴る。私たちが見つけた可能性は、確かに意味があるものだった。
「よろしければ、次回は事例を交えて、もう少し詳しくお話しいただけませんか?」
思いがけない提案に、私と江口さんは顔を見合わせる。
「ぜひ、お願いします!」
「実は私も、詳しくお聞きしたいです」
次々と声が上がる。画面の向こうの経営者たちの目が、期待に輝いている。
「では、来週の木曜日、同じ時間でいかがでしょうか?」
司会者の言葉に、私は少し躊躇する。来週の木曜と言えば、垣内さんのプロジェクトの重要な節目。でも。
「大丈夫です。その時間なら」
江口さんが私の表情を見て、さりげなくフォローを入れる。
「その前に、しっかり結果を出しておきましょう」
小さな声で私に告げる江口さん。そうだ。まずは目の前のプロジェクトこそが、私たちの理論を証明する最高の機会なんだ。
「ありがとうございます。では、来週」
会議室の時計は、21時を指していた。
「いかがでしたか?」
オンライン交流会が終わり、会議室の電源を落としながら、江口さんが声をかける。
「うん。私たちの考えてることって」
「間違ってなかったんですね」
言葉を交わしながら、エレベーターに向かう。もう、オフィスはほとんど人がいない。
「垣内さんのプロジェクトも、きっとうまくいく」
江口さんの声には確信が混じっている。今夜の交流会は、私たちの方向性を強く後押ししてくれた。
「あとは、実績を作るだけ」
私も頷く。データ分析に裏付けられた戦略。中小企業ならではの強みの活かし方。そして、それを求めている人たちがいる。全てが、少しずつ形になってきている。
「明日から、また頑張りましょう」
夜のオフィスビルを出ると、初夏の風が頬を撫でていった。