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第3章『プロジェクトの季節』〜5〜

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新しい風が吹く

江口さんが案内してくれたカフェは、古い洋館を改装した趣のある建物だった。休日のため、テラス席には家族連れや若いカップルの姿が見える。私たちは店内の窓際の席に案内された。

「ここ、本当に落ち着きますね」

席に着きながら、榊原さんが店内を見渡す。パソコンを開いて作業している人も何人か見えるけれど、不思議と殺伐とした雰囲気はない。

「あ、このパスタ、美味しいですよ」

航平さんが、私のメニューを覗き込むように指さす。その仕草に、思わず心臓が跳ねる。

「先ほどは、ありがとうございました」

突然の聞き覚えのある声に顔を上げると、村井さんが立っていた。

「あ、村井さん! まさか」

江口さんが驚いた声を上げる。朝の打ち合わせの後とは思えない偶然の再会に、私たちも思わず顔を見合わせた。

「私も驚きました。いつもの席が空いていたので、ちょっと作業をと思って」

村井さんが少し照れたように微笑む。

「もしよろしければ、さっきの続きを…いえ、お昼のお時間に失礼でしたね」

「いえ、ぜひご一緒にどうぞ」

江口さんの言葉に、私たちも頷く。むしろ、この偶然の再会には何か意味があるような気さえしていた。

「実は、さっきの提案に補足させていただきたいことがありまして」

席に着きながら、村井さんが切り出す。

「うちの事務所、実は中小企業の経営相談会を定期的に開いているんです。そこで、さっきお話しした新しい形の経営支援と、浅見さんたちのマーケティング支援を組み合わせられないかと」

その提案に、私たちは思わず身を乗り出した。朝の打ち合わせでは話題に上らなかった、新しい可能性。

「相談会には、様々な業種の経営者の方が」

村井さんの言葉を遮るように、航平さんのスマートフォンが震える。

「あ、マリさんからです」

画面を確認して、航平さんが少し焦ったような表情を見せる。

「シリコンバレーで似たような取り組みをしている会社があるって。至急話がしたいとのことですが…」

時計を見ると、サンフランシスコはまだ前日の夜。それなのに、マリさんはこんな時間に。

「村井さん、少しお時間よろしいでしょうか?」

私の問いかけに、村井さんが穏やかに頷く。

「もちろんです。私も、アメリカの最新事例には興味がありまして」

そうして私たちは、休日のカフェで、思いがけない形で新しいプロジェクトの一歩を踏み出そうとしていた。


航平さんの提案で、私たちはカフェの奥まった個室風のスペースに移動した。パソコンを開き、オンライン会議の準備を始める航平さんの手際の良さに、思わず見入ってしまう。

「マリさん、こんにちは」

画面に映し出されたのは、三十代半ばくらいの凛とした女性だった。バックグラウンドには、サンフランシスコの夜景が広がっている。

「みなさん、お時間を取っていただきありがとうございます」

マリさんの日本語は流暢で、声にも芯が通っていた。

「今、シリコンバレーで似たようなサービスを展開している会社の話を聞いたところなんです。中小企業向けのマーケティング支援と、経営支援を組み合わせたプラットフォームを作ろうとしていて」

その言葉に、私たちは思わず顔を見合わせた。村井さんが先ほど提案した内容と、驚くほど近い。

「でも、日本でそういったサービスの芽が出ているとは思っていなくて。これは、とても興味深い偶然です」

「マリさん、具体的にどんなサービスなんでしょうか?」

村井さんが前のめりになって質問する。

「基本的な枠組みは、経営相談会がベースになっているんです。そこで出てきた課題に対して、マーケティングのソリューションを提供する。特に面白いのは、業種別のパターンを…」

説明を聞きながら、航平さんが素早くメモを取っていく。彼が作っているシステムと、かなりの部分で共通している。

「これは」

江口さんが小声で私に囁く。

「私たちの方が、むしろ一歩先を行っているかもしれません」

確かに。データの分析手法も、クライアントとの関係構築も、すでに実践的なノウハウを持っている。

「あの、マリさん」

思い切って、私は声を上げた。

「私たちのシステムには、クライアントの強みを数値化する機能があるんです。それと、経営相談会での知見を組み合わせることで…」

話しながら、村井さんの方を見る。村井さんも、ゆっくりと頷いていた。

「それ、とても興味深いですね」

マリさんの声が、少し高揚する。

「シリコンバレーの会社は、まだそこまでのアプローチは」

「実は」

航平さんが、パソコンの画面を切り替える。

「その機能のプロトタイプが、ほぼ完成していまして」

画面には、垣内さんの案件で使用した分析データが表示されている。職人技術の価値を数値化し、それをマーケティング施策に反映させた実例。

「これは…すごい」

マリさんの声に、確かな驚きが混じる。

「明日の早朝ミーティング、とても楽しみになってきました」

そう言いながら、マリさんは時計を見る。むこうはまだ前日の夜。それなのに、わざわざ時間を作ってくれた。

「村井さん、もしよろしければ、明日のミーティングに」

私の言葉を待っていたかのように、村井さんが頷く。

「ぜひ参加させていただきたいです。私からも、経営相談会での具体的な事例をお話しできればと」

マリさんも満足げに頷いた。画面の向こうのサンフランシスコは、まだ夜の闇に包まれている。でも、そこには確かな可能性の光が見えていた。

「では、明日六時に」

ビデオ通話を終えると、カフェの空気が少し変わった気がした。誰もが、今この瞬間に立ち会えたことの大きさを感じている。

「浅見さん」

航平さんが、珍しく積極的に声をかけてくる。

「明日の資料、一緒に準備させてください。マリさんの指摘を受けて、システムの説明も加えたほうが」

その真剣な眼差しに、また心臓が高鳴る。でも今は、その感情を抑えなければ。目の前には、大きな可能性が広がっているのだから。

「ええ、ぜひ」

答えながら、私は江口さんと目を合わせた。彼女も同じように、この瞬間の特別さを感じているようだった。

「じゃあ、このまま準備を」

榊原さんの提案に、全員が頷く。休日の昼下がり。でも、誰も帰る気配を見せない。それどころか、カフェのテーブルには次々と新しいアイデアが広がっていった。

明日の早朝。きっと、また新しい風が吹く予感がしていた。

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