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第3章『プロジェクトの季節』〜10〜

目次

新たな決意

垣内さんからの電話は、その日の夕方に入った。

「ご心配をおかけして申し訳ありません」

穏やかな声に、私は思わずホッとする。

「森川さんには、ただデータの効果について話をしただけなんです。それがこんな形になるとは…」と垣内さんが申し訳なさそうに続ける。

「むしろ私の方こそ」と私は答える。「突然、こんな形でお騒がせして」

「いえ」垣内さんの声が、不思議と明るい。「むしろ嬉しかったですよ。私たちの事例が、こんなに注目されているなんて」

確かに、大手代理店が目を付けるほどの成果。それは、私たちの手法が間違っていなかった証かもしれない。

「これからも末永くお願いします」

その言葉に、私は思わず目を潤ませそうになった。最初のクライアント。その信頼を、私たちは裏切るわけにはいかない。

カフェで夕方のミーティングをしていた江口さんに報告すると、彼女も安堵の表情を見せる。

「よかった」と江口さんがコーヒーカップを置く。「でも、これは一つの通過点かもしれませんね」

その言葉の意味を考える間もなく、カフェのドアが開く音がした。

「お疲れさまです」

航平さんが、いつもより少し早めの時間に現れる。普段は別の仕事が入っているはずの時間帯だ。

「垣内さんからの件、聞きました」と航平さんが席に着きながら言う。「村井さんにも報告が」

その時、私のスマートフォンが震える。マリさんからのメッセージだった。

『大手代理店の動きが早まっているようですね。シリコンバレーでも、中小企業向けマーケティングへの注目が集まっています』

私は、メッセージの最後に添付されたグラフを見つめる。確かに、市場が動き始めている。私たちが感じていた手応えは、決して偶然ではなかった。

「浅見さん」

航平さんの声に顔を上げると、彼が一枚の資料を差し出していた。

「昨日から作っていたものなんですが」

それは、私たちのシステムの新しい機能の設計図。中小企業ならではの強みを、より細かく分析できる仕組みが描かれている。

「これ…」

私の声に、江口さんも資料を覗き込む。

「今の反応パターンを分析していたら、面白い相関が見えてきて」と航平さんが説明を続ける。「業種だけじゃなく、企業の成長ステージによっても、最適なアプローチが変わってくるんです」

その言葉に、私は思わず身を乗り出していた。確かに、垣内工業と他のクライアントでは、同じ製造業でも反応が少し違う。その違いが、成長ステージという観点から説明できるかもしれない。

「それに」と航平さんが画面を切り替える。「マリさんから送られてくるシリコンバレーのデータと照らし合わせると」

次々と表示されるグラフに、私たちは息を呑む。成長ステージごとの反応パターンは、国や業種を超えて、ある種の普遍性を持っているように見える。

「これは、理論化できるかもしれません」

江口さんの声が、少し高揚している。

「でも」と私は慎重に言葉を選ぶ。「こんな大きな可能性に、私たちだけで」

「だからこそ」

航平さんの声には、珍しく強い確信が混じっている。

「大手にはできない、きめ細かな対応。一緒に成長していける関係性。それが私たちの強みなんです」

窓の外では、夕暮れが街を包み始めていた。この光景は、いつもと変わらない。でも、確実に何かが動き始めている。

「来週からの経営相談会、もう三社から申し込みがあるんです。村井さんも、次のステップの準備を始めていて」と江口さんがスマートフォンをチェックしながら言う。

その時、航平さんのパソコンから通知音が鳴った。サンフランシスコはまだ早朝。画面には、マリさんからの新しいデータが届いている。深夜から未明にかけての反応率の高さ。時差を活かした24時間の運用体制。そして、中小企業ならではの成長パターン。全てが、少しずつ形になってきている。

「そろそろ、体制のことも考えないといけませんね」と江口さんが言葉を継ぐ。

その言葉に、私は少し考え込む。確かにこのままでは、いずれ限界が来るかもしれない。会社の仕事との両立。深夜や早朝の時間のやりくり。そして、増え続けるクライアント。

「でも、それは良い悩みかもしれません」と航平さんが静かに言う。「一歩ずつでいいんです。大切なのは、私たちなりのペースで」

その言葉に、私は深く頷いていた。そうだ。焦る必要はない。ただ、確かな手応えを、一つずつ形にしていけばいい。

カフェの外は、すっかり夜の闇に包まれていた。今日一日の出来事が、静かに胸に沁みていく。大手代理店からの誘い。垣内さんからの信頼。マリさんの新しいデータ。そして、航平さんの言葉。

「あの」と航平さんが声を落として言う。「まだ時間ありますか?もう一つ、相談したいことがあって」

江口さんが、さりげなく席を立つ。「私、ちょっと電話を」

窓際の席に二人きりになる。航平さんが、ノートパソコンの画面を私の方に向ける。

「実は、新しい機能を考えているんです。中小企業の強みを、より分かりやすく可視化できないかと」

画面には、見慣れない形のグラフが表示されている。企業の特徴を、まるで星座のように繋いで表現するような設計図。

「この形なら、経営者の方々にも、直感的に自社の強みが」

熱心に説明する航平さんの横顔を見つめながら、私は不思議な感覚に包まれていた。私たちが始めたプロジェクト。それは今、誰も予想しなかった方向に育とうとしている。

経営相談会での手応え。マリさんとの24時間体制。そして、大手代理店が目を付けるほどの価値。全てが、一歩一歩積み重ねてきた結果。

「どうですか?」

航平さんの声に、私は我に返る。窓の外では、街灯が静かに光を落としている。

「素晴らしいと思います」

その言葉は、新しい機能のことだけじゃない。私たちが見つけてきた可能性。そして、これから先の道のり。全てを包含した思いだった。

帰り際、夜風が頬を撫でていく。明日からまた、新しい一歩が始まる。その予感に、心が静かに高鳴っていた。

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