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第2章『新しい景色』 〜6〜

朝のエレベーターは、いつもより少し早い時間に動き出していた。

「おはようございます」

江口さんが、すでにデスクで作業を始めている。画面には昨夜のデータが広がっていた。

「垣内さんへの提案書、ブラッシュアップしてみたんです」

その声には、どこか新しい力強さがある。昨夜、二人で共有した可能性が、具体的な形を持ち始めている。

「私も、朝イチでデータを見直してきたの」

カバンから資料を取り出す。通勤電車の中でも、アイデアが次々と浮かんできた。今までは「こうあるべき」という思い込みに縛られていた視点が、不思議なほど自由になっている。

「あ、浅見さん」

山田さんが、急ぎ足で近づいてくる。

「垣内さんから連絡が入ってまして。工場の職人さんたちと、もう一度オンラインミーティングをしたいとのことです」

その言葉に、私と江口さんは顔を見合わせた。昨日の提案が、すでに動き出している。

「今日の午後二時からなんですが」

山田さんが少し心配そうな表情を浮かべる。確かに突然の話だけど。

「大丈夫です。それまでに準備を」

いつもなら、こんな急な変更に戸惑っていたはず。でも今は違う。むしろ、職人さんたちの反応が知りたくて心が躍る。

「江口さん、私たちの分析、もう少し技術面から掘り下げてみない?」

「はい。実は、こんなデータも」

画面に新しいグラフが開かれる。技術力のある中小企業と、そうでない企業との広告効果の違い。その差は歴然としていた。

「これなら、職人さんたちにも分かりやすいはず」

山田さんが不思議そうな顔で私たちを見ている。普段の浅見ミユキなら、こんな積極的な提案はしない。江口との掛け合いだって、ここまでスムーズじゃなかった。

「あの…」

山田さんの声に、私と江口さんが顔を上げる。

「なんだか、いい感じに変わりましたね。特に浅見さん」

その言葉に、私は少し照れたように微笑んだ。

「では、午後のミーティングまでに用意しておきます」

照れ隠しもあって山田さんに早口でそう言うと、すぐに私は新しいファイルを開いた。昨日からの分析を、より技術者目線でまとめ直さなければ。

「浅見さん、これを」

江口さんが、工場の写真データを示す。垣内さんから送られてきた職人たちの作業風景。その一枚一枚に、長年の経験と誇りが映し出されている。

「そうね。この技術を活かせる市場を」

キーボードを打つ手が止まらない。マスマーケットを狙うのではなく、確かな技術を求める層へピンポイントでアプローチする。私たちが見つけた手法を、より具体的な施策に落とし込んでいく。

「浅見さん、少し休憩を」

気づけば、もう昼を回っていた。江口さんがカフェのテイクアウトカップを差し出してくる。

「ありがとう」

熱いコーヒーを一口飲んで、画面を見つめ直す。今までにない充実感がある。それは単なる仕事以上の、何かを始める予感。

「このプレゼン、きっと上手くいきます」

江口さんの声には、確信が混じっていた。

「よし、あと一時間」

時計は午後一時を指している。プレゼン資料を最終確認しながら、私は画面の隅に小さなメモを書き込んでいた。

「中小企業向けマーケティング戦略研究」

昨夜からの、私たちだけの小さなプロジェクト。まだ誰にも言えない。でも、この垣内さんとの仕事を通じて、何かが見えてくるはず。

「浅見さん、オンライン会議の準備、できました」

小会議室から江口さんの声がする。パソコンを持って移動しながら、妙な高揚感を覚える。今まで、こんなに仕事が楽しいと感じたことはなかった。

「では、始めましょうか」

会議室の画面に、垣内さんと職人たちの姿が映し出される。作業着姿の男性たち。その表情には、昨日までなかった期待が見えた。

「浅見さん、よろしくお願いします」

垣内さんの声に、背筋が伸びる。

「まず、御社の技術力を活かすための新しい戦略についてご説明させていただきます」

画面を共有する。今までの代理店らしくない、中小企業に特化した広告展開。ターゲットの選び方、メッセージの伝え方、そして予算の使い方。

「これは、面白い」

ベテランらしき職人が、身を乗り出してくる。その目が、確かな手応えを感じ取っているのが分かった。

「私たちの加工技術、こんな見せ方ができるんですね」

若手の職人も、興味深そうに画面を見つめている。今までの広告は、彼らの技術の本質を伝えきれていなかった。

「江口さん、次の資料を」

私の声に、江口さんがスムーズに画面を切り替える。二人の息が、自然と合っている。

「実は、このような反応パターンが…」

説明を続けながら、私は感じていた。これが、私たちの進むべき道なのかもしれない。中小企業の価値を、本当の意味で伝えていく仕事。

「おお、これなら」

職人の一人が、自然と声を上げた。その瞬間、画面の向こうで何かが変わった気がした。今までどこか諦めのような空気があった職人たちの表情が、生き生きとし始める。

「うちの技術なら、こういう層にも訴求できるんじゃないか」

「そうそう、あの加工方法なら」

職人たちの間で、次々と声が上がる。彼らの中に眠っていたアイデアが、私たちの提案をきっかけに、一気に溢れ出してくる。

垣内さんが、静かに頷いている。その表情には、確かな手応えが見えた。

「浅見さん」

垣内さんが口を開く。

「正直に言うと、広告なんて、どうせ数字を追いかけるだけだと思ってました。でも、これは違う」

その言葉に、私の中で何かが強く共鳴する。そうだ、私たちが目指すのは、ただの数字じゃない。技術の価値を、本当の意味で伝えること。

「では、早速このプランで進めさせていただきます」

会議の終わりが近づいてきた頃、垣内さんが前に乗り出してくる。

「浅見さん、江口さん」

画面の向こうで、垣内さんが二人の名前を呼ぶ。

「このプロジェクト、お二人に任せたい。これからもずっと」

その言葉に、私は一瞬言葉を失う。「これからもずっと」。その重みが、未来への可能性として心に響く。

「ありがとうございます」

江口さんと同時に答える声。画面の向こうでは、職人たちも確かな期待を込めた表情を見せていた。

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