新しい風
オンラインミーティングが終わり、会議室の電源を落とす。窓の外では、午後の陽が眩しく差し込んでいた。
「浅見さん、これって」
江口さんの声が、小さく震えている。私にも分かる。今日の手応えは、単なる一案件の成功以上の何か。私たちにしか見えていない、大きな可能性の予感。
「お疲れ様です」
山田さんが会議室に入ってくる。
「垣内さんから、早速ご連絡いただきました。今までにない反応だったと」
その言葉を聞きながら、私は画面を閉じる。成功の予感は確かにある。でも、それ以上に大きな何かが見えていた。
「では、次のステップの準備を…」
そう言いかけて、私はふと手を止める。「次のステップ」。その言葉の意味が、今までとは違って聞こえる。
「浅見さん、これから少しお時間いただけますか?」
会議室を出ようとした時、山田さんが声をかけてきた。
「実は、他の中小企業のクライアントからも、似たような相談が来ているんです」
その言葉に、私と江口さんは思わず顔を見合わせる。私たちが見つけた可能性は、確かに広がっている。
「後ほど、部長とも相談したいと思いますが」
山田さんの声が続く。
「お二人で、新しいチームを作っていただけないでしょうか」
「新しいチーム…」
その言葉が、重く響く。私の手帳に書かれた「中小企業専門」という文字が、頭をよぎる。
「中小企業に特化した広告運用を」
山田さんが企画書を開きながら話を続ける。
「これまでの代理店の手法では、どうしても中小企業のクライアントさんの満足度が上がらなくて。でも、お二人の提案は違った」
窓の外を見やる。夕暮れが近づいているのか、空が少しずつ色を変えている。
「ご検討いただけますか?」
返事をする前に、江口さんと目が合う。彼女の瞳に、私と同じ思いが浮かんでいるのが分かった。
(これは、私たちにとってのチャンス)
ここで力を示すことができれば。私たちの理論を、もっと形にすることができれば。その先には…。
「お引き受けします」
声に、自然と力が込められていた。
「では、早速企画書を」
山田さんが立ち上がろうとした時、部長が会議室に姿を見せた。
「今の垣内さんとの打ち合わせ、様子を見ていたよ」
私たちは思わず背筋を伸ばす。
「中小企業に特化した広告戦略か」
部長が腕を組んで、窓の外を見る。
「面白い視点だ。実は私も、ずっと課題だと思っていたんだ。大手の手法を小さくしただけでは、中小企業の価値は引き出せない」
その言葉に、私の中で何かが確信に変わる。これは私たちだけが見ていた可能性じゃない。確かにニーズがある、未開拓の領域。
「浅見さん、江口さん」
部長が振り返る。
「このプロジェクト、君たちの裁量で進めてもらおう。必要なリソースは出す」
チャンスは、思った以上に大きく広がっていた。
会議室を出る時、すでに外は夕暮れに包まれていた。
「浅見さん」
江口さんの声が、いつもより少し低い。
「私たち、これからどんどん忙しくなりそうですね」
その言葉には、不安と期待が混じっている。確かに、今までとは違う責任が私たちに降りてきた。でも。
「江口さん」
デスクに戻りながら、私は静かに言った。
「これって、私たちが見つけたものの、実証のチャンスだと思うの」
パソコンの画面には、昨夜から作っていた中小企業向けのデータベースが開かれている。そして、手帳の「独立」という文字。今の仕事は、その準備にもなるはず。
「そうですね」
江口さんの声が、少し明るくなる。
「でも、どこから手をつけて…」
「それが」
私は新しいファイルを開く。
「実は、すでにいくつかプランを」
画面には、中小企業向けの新しいアプローチが項目立てされていた。従来の代理店にはない視点。データに基づいた独自の手法。
「浅見さん、これ全部」
江口さんが驚いた声を上げる。確かに、普段の私なら、こんなに先回りした準備なんてしない。でも、昨日からの高揚感は、自然とアイデアを形にしていった。
「ねえ、これから毎日、仕事が終わった後に」
私は声を潜める。
「30分だけでも、私たちのプロジェクトの時間を作らない?」
「プロジェクト…」
江口さんが、その言葉を反芻する。二人とも分かっていた。それは会社から任されたプロジェクト以上の、私たち自身の挑戦になるということを。
「実は、私も」
江口さんがバッグから手帳を取り出す。そこには、びっしりとアイデアが書き込まれていた。
「市場調査も、少しずつ進めていて」
江口さんのメモには、驚くほど具体的な内容が並んでいる。競合他社の分析、中小企業の業種別の特徴、必要となる人材やスキル。
「江口さん…」
「浅見さんと同じように、私も」
二人で見つめ合って、小さく笑う。昨夜の「独立」という言葉は、もう単なる夢物語ではない。それぞれが、着実に準備を始めていた。
「じゃあ、今日から」
デスクの配置を少し変える。これから毎日、この場所で二人の”秘密のプロジェクト”が動き出す。
「あ、でもその前に」
江口さんが、慌てて付け加える。
「垣内さんの案件、完璧に成功させないと」
「そうね」
私も頷く。目の前のプロジェクトこそが、私たちの可能性を証明する最初の一歩になる。
デスクに広がる資料とパソコンの画面。垣内さんからの期待、部長からの信頼、そして私たち自身の夢。全てが、この場所から始まろうとしていた。
「じゃあ、まずはこの部分から」
江口さんが画面を切り替える。夕暮れが迫るオフィスで、私たちの”特別な時間”が始まる。そして、その先には、きっと今までに見たことのない景色が広がっているはず。
「さて、どこから手をつけようか」
私は新しいファイルを開いた。