嬉しい悲鳴、広がる可能性
「数字、すごいことになってますよ」
江口さんが、興奮気味に画面を指さす。導入から2週間。ITスタートアップの広告効果が、予想以上の成果を見せ始めていた。
「コンバージョン率が3倍…これ、本当に?」
私も思わず声が上ずる。提案時の予測を大きく上回る数字。しかもリード獲得コストは、従来の半分以下だ。
「やっぱり、浅見さんの理論は正しかった」
江口さんの声には確信が滲んでいる。中小企業ならではのキーワード選定と、ピンポイントな時間帯投下。大手とは異なる戦い方で、確実に成果を上げていた。
「榊原さんにも報告しないと」
スマートフォンを取り出しかけて、私は一瞬躊躇した。午後三時。彼女は今、別の仕事の真っ最中のはずだ。
「あ、そうだ」
江口さんが声を潜める。
「税理士事務所の件なんですけど、明日、一度話を聞いてもらえませんか? 向こうが朝早くでも構わないって」
その言葉に、少し考え込む。手応えは十分にある。でも、業種が全く違う。今回のやり方が、そのまま通用するとは限らない。
「浅見さん」
江口さんが、真剣な眼差しで続ける。
「この数字、偶然じゃないですよ。私たちの理論は、絶対に正しい」
その瞬間、パソコンの通知音が鳴った。クライアントからの新しいメールだ。
『広告の効果について、報告させていただきたいことがあります。もし可能でしたら、オンラインでも構いませんので、お時間いただけないでしょうか』
「これは…」
「なんですか?」
「クライアントから。効果について話がしたいって」
江口さんと顔を見合わせる。数字は良かったけれど、もしかして何か問題が…。
『実は想定以上の問い合わせを頂いており、嬉しい悲鳴をあげております。今後の展開について、ぜひアドバイスを頂きたく』
「あ」
思わず声が漏れる。江口さんが覗き込んでくる。
「なんと」
メールの文面を読んだ江口さんの顔が、パッと明るくなる。
「浅見さん、これ完全に成功じゃないですか!」
興奮する江口さんを見ながら、私の中で何かが確信に変わっていく。このビジネス、本当に行けるかもしれない。
「すぐに榊原さんにも報告しましょう」
LINEで簡単に状況を伝えると、すぐに返信が来た。
『やったわね! ところで、明日の朝のミーティング、私の弟も同席させてもいいかしら? システム周りの提案があるみたいで』
「弟さん…?」
思わず声に出してしまう。榊原さんには弟がいたことも、その弟がITに詳しいことも、今初めて知った。
「どうしました?」
「ううん、なんでもない」
返信を打ちながら、なぜか少し落ち着かない気持ちになる。これまでの順調な展開が、また新しい局面を迎えようとしているような予感がした。
翌朝六時半。いつものカフェで、私は早めに資料の最終確認をしていた。
「おはようございます」
振り返ると、榊原さんが立っていた。そして、その後ろに—。
「弟の航平です。よろしくお願いします」
すらりとした長身に、さっぱりとした短髪。姉の榊原さんに似て、凛とした雰囲気を持つ青年だった。でも、その眼差しには技術者特有の鋭さがある。
「昨日の数字、見せてもらいました」
席に着きながら、航平さんが切り出す。
「CTRからコンバージョンまでの一連の流れ。これ、自動化できると思います」
「自動化…?」
「はい。今のやり方だと、データの集計や分析に時間がかかりすぎる。もし次々と案件が増えていくなら」
彼の言葉に、私は息を飲んだ。確かにその通りだ。昨日もデータの収集と整理だけで、かなりの時間を取られた。
「今朝は時間も限られてるから、サクッと要点だけお話ししますが…」
航平さんがパソコンを開く。画面には複雑な図が表示される。
「これ、今の浅見さんたちのワークフローを分析して、システム化できる部分を洗い出してみたんです」
「あら航平、昨日の深夜にこれ作ったの?」
榊原さんが声を上げる。
「まあ」
少し照れたように航平さんが答える。
「面白そうだったから」
その言葉に、心が少し熱くなる。私たちのプロジェクトを、こんなにも真剣に考えてくれている。
「あの、このシステム、具体的にはどれくらいの…」
私は少し躊躇いながら口を開く。
「費用のことですか?」
航平さんが静かに笑う。
「それは心配いりません。僕の実験台として、開発させてもらえればと思って」
「えっ、でも」
「その代わり」
彼の目がまっすぐに私を見つめる。
「このプロジェクト、定期的に関わらせてください。中小企業向けの新しいマーケティング手法。僕も、その可能性を見てみたい」
その眼差しに、思わずドキリとする。技術者としての純粋な探究心。それなのに、なぜかそこに秘められた何か熱いものを感じた。
「航平さんのアイデア、いいと思います」
江口さんが颯爽と現れ、会話に加わる。
「私も、これからの展開を見据えると、システム化は避けて通れないと思ってました」
三人の視線が、私に集まる。
「…そうですね」
私も頷く。これは、プロジェクトの新しいステージを告げる、大きな一歩になるかもしれない。
「じゃあ早速、税理士事務所の案件も含めて、具体的な設計を」
航平さんが話し始めると同時に、カフェの外では朝日が昇り始めていた。新しい可能性と、そして何か不思議な胸の高鳴りを感じながら、私はコーヒーを一口飲んだ。