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第4章『試練の季節』〜5〜

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動き出す朝

翌朝、私たちは新しい体制での最初の一歩を踏み出していた。

早朝、江口さんからのメッセージ。垣内工業との打ち合わせの報告だ。『私たちの決断を、むしろ評価してくださいました。中小企業に特化した専門性を高めていく姿勢に、大きな期待を』

会社の昼休み、『スキルシェア』での募集文を考えながら、私は小さく微笑む。データ分析の経験者で、新しい働き方に共感してくれる人。子育て中でも活躍できる環境。私たちの描く未来が、少しずつ形になっていく。

「浅見さん、この資料の件で」

同僚の声に、私は慌てて画面を切り替える。会社での仕事にも、しっかり向き合わなければ。それが、この新しい挑戦を続けていくための大前提なのだから。

夕方、航平さんからシステムの担当者別設定完了の報告が入る. マリさんとも早速テストを実施したようだ。

この小さな一歩が、きっと三ヶ月後の私たちを、大きく変えているはず——。


そう思った矢先、予想外の事態が起きた。

夜、帰宅途中で江口さんから緊急の連絡が入る。『別の中小企業の社長さんから直接お問い合わせが。今から15分後にオンラインミーティングをお願いできないかと』

慌ててカフェに駆け込み、パソコンを開く。画面の向こうに現れたのは、50代くらいの男性。業界紙で垣内工業の記事を読み、すぐに連絡したとのことだった。

「実は、来月の展示会に向けて」と切実な声で語り始める。老舗の金属加工メーカー。職人の技術は確かなものがあるのに、なかなか新規顧客の開拓ができない。今回の展示会が、会社の将来を左右するかもしれない。

私は困惑しながら画面に向かっていた。たった昨日、新規案件は3ヶ月控えると決めたばかり。でも、この切実な声を前に、単純に断ることもできない。

慌ててスマートフォンで航平さんと江口さんにメッセージを送る。二人からもすぐに返信があった。みんな、同じ思いだったのかもしれない。

「もし可能でしたら」と画面の向こうの社長が続ける。「今週中に、一度お話を。展示会まで時間がなくて」

その切実な声に、私の心が揺れる。昨日決めたばかりの「新規案件は3ヶ月後から」というルール。でも、この真摯な相談を、ただのルールで断ってしまっていいのだろうか。

航平さんからのメッセージ。

『技術職人さんのいる会社なら、垣内工業さんのケースが活かせそうです』

江口さんからも。

『展示会という具体的な目標。それなら、効果測定もしやすいかも』

思わず画面に微笑みかける。この判断を、一人で抱え込む必要はなかった。チームで決めた新体制だからこそ、チームで考えていけばいい。

「申し訳ありません」

と私は丁寧に切り出す。

「実は、今ちょうど体制の変更期に入ったところで。ただ、御社の状況は十分理解できますので」

そこで少し言葉を区切り、スマートフォンの画面を確認する。二人からの頷きのスタンプ。

「限定的にはなりますが、展示会に向けてのご支援なら、お受けできるかもしれません」

社長の表情が、パッと明るくなる。「本当ですか?ありがとうございます」

その夜遅く、急遽オンラインで三人の打ち合わせ。時間は30分と決めて。これも新体制での約束事だ。

「やはり、断れませんでしたね」と江口さんが優しく言う。「でも、それが私たちらしいのかも」

航平さんも頷く。「展示会までの期間限定なら、僕の本業にもそれほど影響は。それに」と少し考え込むように続ける。「垣内工業さんの事例を活かせるシステム改修なら、既存のクライアントにも良い影響があるかもしれません」

確かに。目の前のニーズに真摯に向き合いながら、できることを積み重ねていく。それが私たちの選んだ道。完璧な体制を整えてから動き出すのではなく、動きながら形を作っていけばいい。

「じゃあ、明日は」と私が言いかけたとき、江口さんが「あ」と小さな声を上げる。

「実は」と江口さんが声を落として言う。「スキルシェアで興味深いプロフィールを見つけたんです」

画面を共有しながら、江口さんが説明を続ける。元大手代理店でデータ分析チームのリーダーをしていたという中井さんのプロフィールだ。二人の子供の育児のため、柔軟な働き方を希望しているという。

「経験は十分すぎるくらいなんですが、働き方の面で悩まれているようで」

航平さんが食い入るように画面を見つめる。

「この方、データ分析の実務だけでなく、チームマネジメントの経験も豊富ですね」

私も黙ってプロフィールに目を通す。大手での豊富な経験。そして何より、『大手では実現できなかった、一つ一つの企業に寄り添うマーケティング』という言葉が心に響く。

「一度、お話する機会を作ってみませんか」とマリさんが提案する。「夜なら、サンフランシスコの朝とも時間が合いますし」

メッセージのやり取りの末、その週の夜に面談の機会が設定された。子供を寝かしつけた後なら大丈夫、という中井さんからの返事。

私たちにとって、初めての新しいメンバー候補。その経験と知識は、間違いなく大きな力になるはず。でも、それ以上に期待を感じたのは、中小企業の可能性を信じる、その想いだった。

体制の改善に向けて、ようやく一筋の光が見えてきた気がした。

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