可能性が見えた朝
朝五時。いつもより早めに目覚ましをセットしていたのに、私は自然と目が覚めていた。
昨夜は航平さんと資料作りに没頭して、気づけば夜の十時を回っていた。でも、不思議と疲れは感じない。むしろ、これから始まる早朝ミーティングへの期待で、体が軽く感じられる。
「おはようございます」
五時半、いつものカフェに着くと、すでに航平さんが準備を始めていた。昨夜のやり取りがまるで夢のように思える。あれだけ遅くまで作業していたのに、彼の動きは的確で無駄がない。
「浅見さん、こちらの資料なんですが」
差し出された画面には、昨夜より更にブラッシュアップされた内容が映っている。
「まさか、あれ以降も作業を?」
「ええ、少し気になる部分があって」
航平さんが少し照れたように答える。その仕草に、また心臓が跳ねる。
「おはようございます!」
江口さんが颯爽と現れ、そして村井さんも姿を見せる。六時前には、榊原さんも合流した。
「じゃあ、始めましょうか」
航平さんがノートパソコンを開く。画面には、サンフランシスコの街並みをバックに、マリさんの姿が映し出された。
「みなさん、お早うございます」
マリさんの声が、静かな朝のカフェに響く。向こうはまだ昨日の午後二時。
「昨日お話しした件について、もう少し詳しく共有させてください」
画面が切り替わり、シリコンバレーの最新事例が映し出される。確かに私たちの構想と似ている部分もある。でも。
「やっぱり、これ」
江口さんが小声で私に囁く。
「私たちの方が、一歩先を行ってると思います」
私も頷く。データに基づいた分析手法、実際のクライアントとの関係構築、そして航平さんのシステム。すでに実践的なノウハウを持っている。
「実は」
村井さんが前に乗り出す。
「昨日少しお話しした経営相談会なんですが、すでにいくつかの成功事例が」
画面には次々と具体的な数字が並んでいく。経営課題の可視化から、実際の支援内容まで。その一つ一つに、確かな手応えが感じられた。
「これは面白いですね」
マリさんの声が、少し高揚する。
「シリコンバレーの事例より、むしろ実践的かもしれません」
「あの、ここでご提案が」
航平さんが、新しい画面を共有する。
「村井さんの経営相談会のデータと、私たちの持つマーケティングデータを組み合わせることで、より精度の高い分析が…」
説明する航平さんの声に、確かな手応えが混じる。昨夜、必死で作り込んだ資料が、今、生きている。
「それに、垣内さんの事例で実証済みの手法を、他業種にも展開できると思います」
江口さんが補足する。
議論は予想以上に白熱していった。マリさんからは、シリコンバレーの最新トレンド。村井さんからは、実務での具体的な課題。そして航平さんのシステムが、それらを繋ぐ架け橋になっていく。
「これは、確実に可能性があります」
マリさんの確信に満ちた声に、全員が静かに頷く。
「日本の深夜に、私がモニタリングを担当。そこで得られた知見を、朝一番で共有。それを実際のクライアントワークに活かしていく」
「まさに、24時間体制のグローバルチームですね」
村井さんの言葉に、私たちの目が輝く。
「具体的なスケジュールを組んでいきましょうか」
航平さんの提案で、画面にタイムラインが表示される。今週から始める小規模な実験。そして、一ヶ月後の本格展開へ向けて。
「このスピード感で大丈夫でしょうか」
思わず口をついて出た私の言葉に、航平さんが真剣な眼差しを向ける。
「浅見さんと江口さんが見つけた可能性。それを、できるだけ早く形にしたいんです」
その言葉に、胸が熱くなる。私たちの考えを、ここまで真剣に受け止めてくれている。
「ええ、私もそう思います」
マリさんが頷く。
「シリコンバレーの動きを見ていると、このタイミングを逃す手はないかもしれません」
「それに」
村井さんが続ける。
「経営相談会でも、実はこういったサービスへのニーズが高まっているんです。特に、中小企業の経営者の方々から」
時計を見ると、もう七時を回っていた。外は段々と明るくなり、街が目覚め始める音が聞こえてくる。
「では、具体的な準備を」
航平さんが画面を切り替えながら言う。その時、彼の横顔が朝日に照らされて、どこか輝いて見えた。
「浅見さん」
ミーティング終了後、航平さんが声をかけてくる。
「昨日は遅くまでありがとうございました。今日の資料、浅見さんのアイデアのおかげで」
「い、いえ」
慌てて否定しようとする私の言葉を、航平さんが遮る。
「これからも、一緒に」
その言葉に、また心臓が跳ねる。きっと、単なるビジネスの話として受け止めるべきなのに。
「もう航平ったら、せっかくの休日なんだから、今日はゆっくり休んだら? 昨日も遅くまで…」
榊原さんの声で、私たちは慌てて距離を取る。
「あ、そうですね」
答える私の声が、少し上ずっているような気がした。
「じゃあ、また明日」
それぞれが帰り支度を始める中、私は窓の外を見つめていた。いつもと変わらない朝の光景。でも、全てが新鮮に見える。それは、可能性への期待。そして、もう一つの、名付けられない感情。
カフェを出る時、航平さんが小さく会釈をした。その仕草に、また胸が締め付けられる。
(今は、仕事に集中しなきゃ)
そう言い聞かせながら、私は朝の街に足を踏み出した。新しい一週間の始まり。胸の高鳴りを抑えながら、私は確かな手応えを感じていた。